特集
沖縄の世界遺産
〈今号の表紙〉 うるま市にある勝連城跡。グスクと呼ばれる琉球の城の城壁は、本土の城に見られるような直線ではなく、地形に沿って、琉球石灰岩が曲線を描くように積まれている。その様はまるで波のようで美しい。撮影:仲程長治
いつか「命のお祝い」をする日を願って
沖縄には9つの世界遺産がありますが、僕が県外の方に特におすすめしたいのは勝連城跡です。地元のうるま市にあることもありますが、那覇にある史跡の多くは、首里城を含めて終戦後に復元されたもので、勝連城跡のように琉球王国時代からの現物に触れられることはあまりありません。
沖縄の世界遺産は、先人たちが育んだ文化や風習、息遣いが感じられた時に、その真の価値を放ちます。人類の未来に遺すべき遺産として世界に認定されたからには、どんなことがあってもそれを守る責任が地元にはあると思っています。
昨年、火災で首里城正殿が焼失した際には、終戦直後に焼け野原となった沖縄の姿と重なり、胸が詰まりました。しかし、島に悲しみが溢れ、衣食住が足りない状況であっても、ウチナーンチュは歌を忘れず、小那覇舞天の「ぬちぬぐすーじさびら(命のお祝いをしよう)」という言葉を胸に、次への歩みを始めたといいます。
現在のコロナ禍がいつ終わるのか? 一寸先が見えない状況下で私たちは生きていますが、「命」について、こんなに多くの人たちが同時期に考えたことは、歴史上なかったかもしれません。この状況を乗り越えた時には、みんなでぜひ「命のお祝い」をいたしましょう!
代表取締役 名護 健
うるま市の小高い丘の上にある勝連城跡は沖縄で最も古いグスクのひとつで、景観の良さが魅力
九州・沖縄サミットが開催された2000年、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」がユネスコの世界文化遺産に登録されました。これは、日本の南西に浮かぶ小さな島々を舞台に独特の文化を形成した「琉球王国」の歴史性が高く評価されてのことで、首里城跡をはじめとする5つのグスクと、斎場御嶽(せいふぁうたき)など4つの関連遺跡が「沖縄の世界遺産」として親しまれています。
琉球王国の歴史は1429年の琉球統一に始まります。12世紀後半に沖縄本島の各地で強い勢力を持った武将が城(あじ)を築いて対立するようになり、14世紀には3つの国(南部の南山、中部の中山、北部の北山)に分かれて争う三山時代となりましたが、中山の尚(しょう)氏が北山と南山を攻め滅ぼして統一し、琉球というひとつの王国を打ち立てました。
この小さな王国は国王が暮らす首里城を中心として、中国、朝鮮半島、日本、そして東南アジア諸国との経済的、文化的交流によって約450年間に渡って栄え、豊かな文化を発展させていきました。
2019年に日本遺産に認定された「琉球料理」「泡盛」「芸能」は、王国が栄えた時代に中国皇帝から派遣された使節団をもてなすために振る舞われた宮廷料理や御用酒、舞踊から生まれたものです。琉球王国は1609年の薩摩侵攻を経て、1879年の琉球処分によって消滅しましたが、独特の文化は島の誇りとして受け継がれています。
沖縄の世界遺産とは、かつての王国であり、今も沖縄に息づく「琉球」の歴史と文化を強く感じさせてくれる場所なのです。
9つの世界文化遺産
①首里城跡
琉球国王の居城。世界遺産として登録されているのは、復元された建物ではなく城壁の一部と遺構部分
②中城(なかぐすく)城跡
築城家として有名だった護佐丸が築いた、6つの郭を持つ美しい城。首里王府軍によって滅ぼされた
③座喜味(ざきみ)城跡
戦国武将・護佐丸(ごさまる)が築いた、軍事要塞としての機能美に富んだ城。読谷村にある
④勝連(かつれん)城跡
首里王府に反発した城主、阿麻和利(あまわり)で知られ、丘陵地形を利用した石積みの曲線が美しい
⑤今帰仁(なきじん)城跡
首里城に次ぐ大きさの、山の上の巨城。沖縄の最北に位置し、北山王の居城として中国公易で栄えた
⑥園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
1519年に築造、国王の外出時の安全祈願する聖地の前にある石門。琉球を代表する石造建築が特徴
⑦玉陵(たまうどうん)
1501年、当時の国王が父王を祀るために築いた巨大な陵墓。建造物として沖縄では初めての国宝
⑧識名園(しきなえん)
王族の保養や、中国皇帝からの使徒をもてなした迎賓館の役目を果たした、庭園が美しい王家の別邸
⑨斎場御嶽(せいふぁうたき)
琉球最高の聖地として崇められ、王国による神女の儀式が行われていた。かつては男子禁制であった
祈りの空間でもあった琉球のグスク
世界遺産・園比武御嶽石門の後方にある御嶽。いにしえの聖地巡礼の出発地点でもあった
国王以外の男子は入ることが禁じられていた首里城の聖地、京の内は深い緑の中にある
斎場御嶽の三庫里(さんぐーい)からは、古来から神の島と呼ばれている離島、久高島が望める
御嶽や拝所には石や香炉が置かれていて今でも拝みに訪れる島の人が絶えない
グスクとは琉球の言葉で、一般的に「城」という字があてられていますが、建造物としてのいわゆる城(しろ)以外にも沖縄には「グスク」と呼ばれる場所が200ヵ所以上もあり、その多くは集落の中で自然発生的に生まれた「祈りの空間」であったと考えられています。
世界遺産に登録されている5つのグスクにおいても、その領域内には御嶽(うたき)や拝所と呼ばれる聖地があり、祈りの空間であったことがわかっています。中でも首里城内には「京の内(きょうのうち)」という男子禁制の森など領域内にいくつもの御嶽があり、神女(しんにょ)組織による祭祀や儀式が日常的に執り行われ、国王による政(まつりごと)と同じくらい重要視されていました。
世界遺産・関連遺産群の一つである斎場御嶽(せいふぁうたき)は、琉球王国の創生神「アマミキヨ」が作ったといわれる琉球王国最高の聖地で、神女による国家的な宗教儀式も行われていました。
今でもその神聖な雰囲気は変わらず、重なり合う自然の大岩や、何もない空間に差し込む光から言葉にできない神々しさを感じることができます。
斎場御嶽の三庫里(さんぐーい)。重なった巨石がつくる不思議な空間をくぐりぬけると、神々が岩壁を伝い降りてくるという拝所がある
琉球石灰岩が積み上げられた首里城の城壁。日本の城郭とはまったく異なるアジア的な美しさがある
首里城公園内にある世界遺産、園比屋武御嶽石門の見所は、中国や日本の木造建築に見られる屋根装飾が琉球石灰岩で精巧に造られていること
世界遺産に登録されたグスクの中でも特別な存在感を放っている首里城跡。那覇の町を見降ろす丘の上に建てられた首里城は琉球王国の統治機関であり、王国時代に花開いた琉球文化の中心でもありました。特に、国王の居城であった首里城正殿は、琉球の象徴として当時の文化力と技術力を結集させた王国最大の木造建造物で戦前は国宝にも指定されていました。
しかし、すべての建造物が沖縄戦によって消失。戦後は沖縄復興の象徴として再建が進められ、1992年に沖縄の本土復帰20周年を記念して国営公園として復元。その後も約30年をかけて進められてきた復元工事が2019年2月に完了しましたが、同年10月に火災に見舞われました。
世界遺産には、中国と日本の築城文化を融合した独特の建築様式と、石造り技術の文化的・歴史的な価値が評価されて、古の姿のまま現存する城壁の一部と正殿地下にある遺構部分が登録されました。
よって、復元された建造物は焼失しましたが、世界遺産として「首里城跡」の価値が損なわれることはありません。
昨年10月に焼失した首里城復興の今
2019年10月の火災で正殿などの6棟を焼損した首里城。弊誌読者の皆さまからも復興に向けての支援募金にたくさんのご協力をいただき、誠にありがとうございます。
現在、首里城の復興は政府による基本方針が固まり、正殿を2026年中に完成させるための設計や、沖縄在来の木材についての調査が始まっています。本格的な再建工事はまだ先ですが、世界遺産である地下の遺構部分については、早期の公開再開に向けての調整が進められています。
復興に向けて工事が進む正殿跡
やんばると呼ばれる沖縄本島の北部地域には、世界でも珍しい亜熱帯針葉樹林が広がり、やんばる特有の豊かな生態系が息づいています。また、ヤンバルクイナをはじめとする希少な固有種が生息・生育していることから「奇跡の森」とも呼ばれています。
琉球諸島には、なぜそこにしか生息しない生物が存在しているのか? それは、太古の昔にアジア大陸と陸続きだったことに由来します。約1万5千~2万年前に地殻変動などによって大陸と分離、結合を繰り返して現在のような島々が形成され、それぞれの島に隔離された生物たちが固有の進化を遂げたことから、世界でも稀な生態系が育まれていると考えられています。
「東洋のガラパゴス」とも呼ばれる西表島(いりおもてじま)は、沖縄では本島に次いで2番目に大きな島で、面積の90%が亜熱帯の原生林で覆われています。山奥からいくつかの滝を経て海へ流れる河川は下流の汽水域で広大なマングローブ林を形成し、数百種類に及ぶ魚類が確認されています。
現在においても島を一周する道路がないため、山にも海岸にも人がほとんど足を踏み入れたことのない秘境が広がっており、イリオモテヤマネコなどの希少な固有種が数多く生息しています。
小さな琉球諸島の自然が「世界自然遺産」の候補とされているのは、地球規模で危機に瀕している「生物多様性のカギ」となる地域として注目を集めているからなのです。